「懐かしい」写真が出てきた・・。10代後半の初めだ、場所は鈴鹿サーキットフルコース、グランドスタンド手前、スターティンググリッド上。マシンはN360。もっと正確に言えば、その頃のレギュレーションに合わせ500cc仕様だ。「スコブル」よく回るエンジンに仕上げられていて、キャブは「CVデュアル」、ドアーも軽量化でアルミ製だった。その他の重量物は徹底的に省かれフロントウィンドー以外はライトウエイトなアクリル製で構成されていた。そんな事から排気量の大きい上のクラスのマシン達をコーナーではグン、グン、追い詰め「痛快」だったのを覚えている。(移動はレンタカーのトラックだった)
 
 グランドスタンド前の坂を1コーナーに向けホンダサウンドを撒き散らし全速で「駆け下る」。あの頃は16歳で軽免許が取得出来た。それが手に入れば早速・・国内B→Aとライセンスを手に入れてステアリングを国際サーキットに向けた。当時は初めの(上)写真でも解るとうり、メインスタンドでも今では考えられない程「殺風景」なモノだった。サーキットではNone、後に発売されるNスリーは日頃の「日常使用」としてその2台を使い分けた、もうスタートから365日「N生活」だった。
 
 
上の2枚の写真で紹介した状態よりも前のころ、つまり、もう少しチューニングが進行していなかった頃のコンディションだ。そう、軽免許を取り、発売後「真新しい」間もない時期に「NⅠ 」を思い切って購入した。従って勿論「新車」だ、一週間もしない内にプランに向け作業を「開始した」。
 
 日常用の「NⅢ」を手に入れるのはまだ先の事だったから、「最低限」の移動は公道を走れる様に「オフセット取り付け」したナンバープレートが付けられてあったのだ。各地でハイスピードジムカーナーが盛んな時代で、「ソレ仕様」に仕上げて会場まで慎重に自走させて「参加した」。タイヤハウスにクリアランスがある様に見えるが、コースにマッチさせた「タイヤ幅」を選択が可能な様、ツメを外側にを「オープン」加工しているからだ。
 
 「目前の敵」は空冷エンジンをリアに搭載するフロンテだった。チカラこぶの様なエキスパンションチャンバーから「ケタタマシイ」排気音を撒き散らし、まるで蜂が飛び交う風に「俊敏」に走り回るのだった。小排気量なら絶対2サイクルだ。これからはホンダの4サイクルだ。などと、アチ、コチ、で議論された時代でもあった。テールランプ下に有る反射板さえ軽量化で外されている。
 
 「シンプル」で「スパルタン」。あの頃のハイスピードジムカーナーマシンのコクピットでは「平凡」で、「スタンダード」な景色。メーターはスポーツタイプの2連、シフトも頻繁な事から、サーキット仕様で流行った「延長、フロア」タイプでない、着座位置もやや高めで「次のコナーポイント」の見晴を重視。ロールゲージもレギュレーションでは問題なかった事からサーキット以外は外して使用。重量配分上、燃料タンクは小型化し、リアトランク部に移設、コクピットとは遮蔽板を設置した。
 
 「183㎝の運転者」をヘルメット着用でスポーツシートに着座させる。ご存じの方も多いと思うが、ヘルメットは想像以上にドライバーのヘッドクリアランスを奪うのだ。ペタル位置、シフトポジション、そしてステアリング、当時の4点シートベルトで固定、「可動エリア」に工夫を重ね微細にアジャストした。天井の内貼りはルーフクリアランス確保と軽量化を図るため、取り除いている。ロールゲージは取り外した仕様で、この段階ではドアーに「ライン」があるのでまだスチールだ。
 
 
「 国際レーシングコース鈴鹿サーキット」。公式のプログラムやパンフレットにはこんな表現で紹介されていた筈だ。「笑顔で」スズカのピット裏、つまりパドックに戻って来た。ご覧の様に、ドアの「厚み」さえ、徹底した「軽量化」の手が入っている。ドアーグリップ部に凹みがなく、軽量アルミ素材で「特別製作」されている事がわかるだろう、3点ロールゲージ「装着仕様」。右/後方に見えるのが、フロンテ。「軽量」アクリル製のリアサイドウインドの向こうに見えるのは、1300クーペだ。
 
 「高校生活」の真っ最中だった。ピット裏(パドック)で好調なマシンと寛ぎ「リラックス中」だ。それはともかく、見かけより「軽く」体重を載せているだけ・・。秘密はボンネットにある、カーボン素材など登場していないこの頃、ボンネットフード内にある「重量骨格」は取り去り、軽量化を図ってあった。だから、下手にボンネットフードに腰を下ろせないのだ。「軽く」すると言っても、強度は計算されてあった、「Nレーシング」であってもスズカのストレートエンドや、立体交差を過ぎた130r手前では相当の「風圧」であった。「対策」のボンネットキャッチは趣味に合わないので純正に「工夫を加えて」使用していた。
 
 「トニーイエロー」のNⅢはこの頃にはもう所有していた。発売直後だったので新車しか手に出来なかった。純粋な日常使用なので純正仕様で乗っていたが、「デュアルキャブ」仕様を注文した。「高校生」の身分なので、裏、勝手口を目立たないよう「工作」し、限られたスペースに2台のNを「住まわせていた」。こんな無理が効く『Nサイズ』は、今から振り返っても大きい「魅力」だった。
 
 「スズカのストレートエンド」で最高速まで伸ばす。そして、その頃、あたりに「特別な香り」が漂うのが決まりだった。まるでレーシングスピリットを「覚醒」させるほどの「匂い魔力」なのだ。「カストロールレーシング」のアノ独自の世界である。勿論、「Nレーシング」にも迷わず投入してあった。
 
頭上のフラッグが大きく「揺れる」。 「風が出てきた・・」、今、「コースIN」のアナウンスがあった。右の「Z」、ヘルプ、サポート用の「サービスカー」だ。急な出来事に備え、スペアーパーツを満載していたが、「Nレーシング」は、何時も充分な時間を費やして「事前に調律/調整」を行って持ち込んでいたので、幸い「調子を崩す事」は無かった。
 
 
 「やや、時間を戻す・・」。まだ乗り始めての頃、しかし、「プラン」どうり組み立てたので、「仕様」の基本構成は全部出来上がっている。「英国製」の総アルミ製、軽量ドアーミラーをドライバー側だけに装着。大がかりな軽量化はまだこの先だった。3点ロールゲージのパッセンジャー側には「真っ赤な」消火器が専用ステーで組まれている。他の写真はレーシングタイヤを装着していたが、この頃は「スポーツラジアル」だった。アンダーが出にくい様に前後「空気圧」や「幅違い」など工夫を重ねた記憶がある。「高校の授業」が早く終わる週末や休日にはこのコースにテスト走行に通った。大規模な工業地帯用地でまだ開通しておらず、公道でなかった事から実走テストには「もってこい」。クルマの話は尽きない、この続きは「貴方と出会った時に・・」取っておこう・・。
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